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農學園内容摘要:

Title Author(s) Citation Issue Date Doc URL Type File Information 農學園 高嶋, 正彦 北大百年史, 通説, 536-549 1982-07-25 http://hdl.handle.net/2115/30024 bulletin (article) tsusetu_p536-549.pdf Instructions for use Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP 6 ラ3 北大百年の諸問題 餐 園 農養園の設置とクラ lクの農園経営 農 高嶋 正彦 開拓使から託された使命であった。クラ lクはその経営の中心 を苔産におき、本邦産並びに洋種の牛、馬、豚、羊を飼養する 農業を選択した。そしてこれを成功に導くには、何よりも条件 にかなった畜舎を建て、より良い飼料を作らねばならないと考 え、模範的な洋風の家畜房を建てるとともに外国種の牧草をは (l) じめ各種の作物を栽培して、学術的のみならず経済的な試験を 行った。 この家畜一房一は、ホイ IラIの設計にかかり、マサチュ l セヅ ツ農学校のそれにならったものであり、一八七七年(明治一 O﹀十月に建てられた。その位置は現在の環境科学研究科建物 監督を兼ね、その管理(経営﹀に力を注いだ。新開の地北海道 開設当時の農園では教頭ウィリアム・エス・クラ lクが校園 ともに量ることができた。中層は家畜室とし、牛四六頭、馬一 るところを設け、かつ秤量器を装置して収穫物の多寡を車鞠と け直ちに馬車を通行させ、その左右には多量の牧草をたくわえ 附近である。家畜房は三層から成り、上層には中央に車道を設 に良く適し北海道の農家の模範となる農業を開くこと、これが であった。なお農園質園の経費は一万五OOO円と定められた。 六条より北十三条まで、東西は西二丁目より西六丁目に至る間 実習場とし、学校にその経営を委託した。その区域は南北は北 れを農費園と称した。園内には厩舎や穀物舎を建てて、学生の 馬短角種牧牛若干と器械舎一棟をあわせて同校に付属させ、こ 札幌官園の内百町歩を分割し、かっその農具器械並びに使役牛 その試験場とし、かつ全道農家の模範園とするために、同年九月 に農学専門科を開設しこれを札幌農学校と改称するにあたり、 開拓使は一八七六年(明治九)八月に札幌学校において新た 1 れな 第一に牧草、次に玉萄黍の試作に力を注いだ。試験に供した牧 飼料作物の栽培については、即功を期すべきものとしてまず 試験場としての実績を挙げるとともに北海道農業の模範農場と て、農園の経営にあたり、これを整備・充実し、農学校の試作・ スが農学教師兼校園監督として着任し、クラ lクのあとをうけ yク されている甜菜と酪農の複合を洞察したものとして注目に値す ブル γク ス の 農 園 経 営 献し、今日なおモデルパ lγ と し て 第 二 農 場 に 保 存 さ れ て い 一八七七年(明治一 O ) 二月、ウィリアム・ピ l ・ブル 草の種類は紅白チモシ l、オ lチャ lドグラス、フォールメド ブルックスが着任した年には、農園では玉萄黍、糖菜、馬鈴 しての機能を高めた。 γクステイル、スウィ iトセンテッドトウルグラス、シ lプ 薯、燕麦、莱、大麦、豆、甘藍、胡羅葡等の作物が作付され、 また牧草が播付けられ、牛、馬、豚等が飼育されていた。牛の 種類は短角牛、雑種短角牛、南部牛の三種類であり、豚はパー クシャ l、馬は南部馬と北海道馬であった。この年のブル γク スの仕事は、着任早々で農園の様子が分らなかったことから、 単にこれらの作物家畜に注意をはらい、農地等耐久物の補修改 特に甜菜については砂糖を得るとともにその浮溢および剰余が 第四に馬鈴薯(アイルランド薯﹀を試作せよと提言している。 なお、クラ lクは、即功を期すべき作物の第三として甜菜、 具、上等の種子、および短角牛よりは北海道の需要に適したエア 場とすることにおき、その手段として、付、改良された機械、器 る。これによると、管理の限目を、農園をして一日も早く模範農 北海道農業の改良についてその考えを固めてこれを発表してい 良を行うにとどまったが、年度末には農園将来の管理法および 冬の飼料となることを強調しているが、これは今日感んに唱道 験をしている。 マサチューセッツ州産の最良種五Oブッシェルをとりよせて試 構内の路傍にさえその成育するをみるのである。また玉県河黍は モシ l、ォ Iチャ lド、レッドトップなど広く普及し、今日、 ト グ ラ そ オ iトグラス等一六種一二OO斤に及んでいる。チ ウススト lクメドウグラス、ウ lリIソフトグラス、ミルレッ フェスク・レ yドフェスク、ウォータースウィ lト、グラス、ユ オ ウ、レッドト γ。フ、ト l ルフェスク、ブル lグラス、メドウフ (2) る 。 2 く本道農業の模範となって畜産ひいては北海道農業の振興に貢 っ肥料を納める所としたものであった。この家畜房の建築はよ O頭を飼養し、かつ七個の産室を設けた。下層は豚を飼い、か 農襲閤 537 5 38 北大百年の諸問題 ること、骨、化学肥料を注文し、肥料の精密な試験にとりかか なくこれを校園並びに近傍の知識ある農家に栽培させて採取す シャ l種の牛を購入すること、同、種子は輸入にたよるだけで た。なお創設期にあって農園の経営収支は当然のことながらそ 関かれ、よく農民の熟練と圃場の肥沃を証明して実功を奏し 次展覧会として一八七八年十月十五、十六の両日札幌において 用いたものが最も良かった。農業仮博覧会は北海道農業の第一 ブルックスは翌一八七九年(明治一二﹀には農園の事業をさ ﹀ ること等を挙げている。また北海道農業の改良に関しては、 の経費が収入を上回った。 て農家に対する農業賞の授与や生産物の共進会、品評会を開催 てさらに耕鋤に手数がかかる種類を広く栽培し、家畜を繁殖 らに拡張した。収穫物には新たに甘庶を加えた他前年にくらべ (5 ﹁農家ノ昏陸ヲ醒覚スルノ緊急ナル﹂を指摘し、その手段とし して農家の競争心を喚起することの効用を説いており、また冬 し、農地の改良を進め、各種試験を増加し、また排水瓦管、甘 期間を利用して農園丁に夜間の講義を行って指導者の養成につ 4 ︿) とめている。 庶の糖液(シロップ)および牛酪の製造に着手した。その結果、 は赤字ではあったが、それは前年の三分の一程度に減少し、経 販売収益は大いに増加し経費の増を上回った。収支バランス ブルックスは第一年次にたてたこの構想にしたがって第二年 次の一八七八年(明治一一)には、各種の作物を盛んに栽培し、 営は大きく改善された。なお、この年に実施された試験のうち かつ勉めて畜力(牛馬)機械を使用し雑費を最小にするように よれば甘庶の発生は良好であり糖液もまた良いものが製造でき 努めた。収穫物には新たに球葱を、飼養家畜にはエアシャ l種 た。さらに近傍農家をして種子を収穫させる件を実行に移し、 たと記録されている。ほかに作物の害虫駆除の研究をはじめた これを原料とする砂糖、糖液の製造試験であった。その成績に 甜菜を材料にして化学肥料の試験を行い、また農業仮博覧会の ことを挙げねばならない。当時、ビート、ナス、カブなど、が根 注目すべきものはアメリカミネソタ産の早熟読泊甘庶の栽培と 開催を提案し近傍農家に大きな衝撃を与えた。なお試験の対象 切虫と呼ぶ害虫に荒されたがこれを駆除する策がなくその良策 の乳牛を加えた。また家畜一房一を増築し、排水による土地改良に として化学肥料は硫酸苦土、硝酸曹達、硝石、塩化カリウム、 使う瓦の製造器械の一部をアメリカより購入して準備を整え 石灰等であり、同時に緋搾糟についてもこれを行っている。そ を見出すにはその虫の性質を研究することが先決とされ、これ へ6) がはじめられたものである。 の結果を収穫でみると、緋搾糟、硝石、硫酸苦土および石灰を 農農園 う3 9 耕作上の便利と土質、気候に対する経験的知識の増加によっ (7) に小鍛冶場と木工場を建築し、道路を修繕するなど、農園の施 設の整備・拡充が進められた。 は大きく改善され一万七七八円の支出に対し収入は一万二九八 かったのに収入が三OOO円余りふえたために、収支バランス 業仮博覧会、農業指導者養成のための特別講義等、農園の仕事 開墾による農地の拡張、建物の新増築および農産物品評会、農 肥料の試験、害虫駆除法の研究、暗渠排水による農地の改良、 ブルックスは新種の作物・家畜・農業機械器具の導入、各種 二円となり、着任三年目にしてブルックスは農園経営に黒字を を外延的に拡大するとともに内延的に充実することに力を注ぎ らに良い結果を生んだ。前年対比で支出が六七O円しかふえな て、翌一八八O年(明治二ニ﹀には、農園の作業は前年よりさ 出したのである。この年は、収穫物の種類に大きな変化はなか その経営の発展に大きく貢献した。 料等を外国および官園から導入して、これを試作・試育・試験 一に挙げられるのは、農作物の種子、家畜、農業機械器具、肥 農閣はこの目的を達成するために様々な仕事をしたが、その第 ともに北海道の農家の模範園であるという使命をもっていた。 いうまでもなく、農農園は試験場、試作場、実習場であると 新種の導入と試作・試験・普及 ったが開墾が進んで作付地積が増加した。家畜はエアシャ l種 の乳牛をはじめ牛、馬、豚ともに健全にして善く発育した。排 水瓦管の製造も甚だ多く暗渠排水への着手の準備が進んだ。ま た、前年につづいて甘庶の栽培と糖液の製造が試験された。そ ζとが果して有益なる の結果、糖液の質は前年より優れたものを得たが、甘庶の収穫 は甚だ少なく、これを北海道で耕作する かはまだ分らなかった。いうまでもなく、今日、本道に甘庶の 栽培はみられない。 厩庭肥料および木灰を用いるのが最良であるという結果を得て 効験を定めるための試験が行われた。これによれば、甘庶には 牛、道具、種子などを購入することを申入れている。これによ O﹀十月に、開拓使の堀大書記官にあてて、アメりカから洋 ブル γクスは農園監督になると早

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