docx文档 足もとの地域から世界をみる~ 授業づくりから地域づくりへ~

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足もとの地域から世界をみる~ 授業づくりから地域づくりへ~内容摘要:

平成 23 年度全国公民科・社会科教育研究会千葉大会   2011.11.2 講演レポート 足もとの地域から世界をみる ~授業づくりから地域づくりへ~ 愛沢 伸雄(NPO法人安房文化遺産フォーラム 代表) はじめに 本年の「3.11」東日本大震災と福島原発問題は、あらためて人類史的な課題を私たちに突きつけた。 21 世紀に生きる私たちは、いま持続可能な社会形成にむけて、どうしたらよいかが問われている。地 域のなかで市民活動に取り組みながら、私は平和や人権、環境や歴史・文化を活かした持続可能な地 域社会づくりのあり方をさぐっている。 かつて高校社会科(世界史)教員として、とりわけ世界史学習では足もとの地域から日本・アジ ア・世界に視線を広げ、世界史的な考察力や想像力を育んでいくことをめざす授業づくりに取り組ん でいた。「かにた婦人の村」の女性たちの歴史やハングルが刻字された大巌院「四面石塔」、あるい は数多くの戦争遺跡などは、すべて「平和の文化」をあらわす貴重な地域教材として授業実践してき た。また、里見氏の文化財を保存し活かす文化活動や、生徒たちとともに小さな学校を作ってきたア フリカ・ウガンダの支援活動も生徒会活動や授業実践に活かしていった。 地域の先人たちが育んできた【平和・交流・共生】の理念をさぐりながら、地域の人びとの心や文 化財に刻まれてきた有形・無形の身近な文化遺産を紹介し、生徒たちが足もとの地域から世界に目を 広げていく授業実践を積み上げてきた。それらの授業づくりの手法は、いま文化遺産群を保存・活用 する「地域まるごと博物館」構想につながっているだけではなく、市民が主役になった地域づくり活 動に活かし、「生涯学習まちづくり」の視点から市民たちの生きがいを生みだす取り組みにしている。  ところで 1990 年代から戦争遺跡などの調査研究や保存運動をはじめたが、とくに 1996 年に始まっ た里見氏稲村城跡保存運動では、市民が中心となった文化財保存運動が、今日まで 16 年間地道に継続 し、本年の夏には念願かなって文化庁への「国指定史跡」意見具申書提出となった。また、 1990 年当 初より取り組んできた戦争遺跡保存運動では、 2004 年に館山海軍航空隊赤山地下壕跡が整備・一般公 開され、翌年には「館山市指定史跡」となった。戦争遺跡をまちづくりに活用すると位置づけられ、 平和学習の拠点として年間2万人近くが入壕するまでになった。 “いま”ある文化遺産を活かすまちづくりを願う市民有志によって、 2004 年NPO法人が設立された。 市民を主役にしたさまざまな市民活動を展開して、地域社会に一石を投じてきたが、授業づくりとは 違った意味で、地域づくり活動の難しさに直面し困難な状況も生まれている。設立8年目になった現 在、「3.11」大震災の影響も大きく、NPO活動では正念場を迎えている。地域に生きてきた先人た ちの【平和・交流・共生】の理念を活かし、“いま”ある文化遺産を活用する地域づくりに取り組んで いる。 1.地域教材を活かした授業づくりと安房地域の特性 (1) 「自己・地域・日本・アジア・世界」に広がり、そして戻ってくる視点を   a.「地域」を通して世界をみる歴史教育をもとめて(地域に根ざした生き方とは)   b.戦争遺跡から「平和」を学ぶために(地域に「平和の文化」を育む)    ① 自己の意見を表明し行動する「地球市民」を育む教育を    ② 地域に根ざすとは、いま自分がここにいて、生きている実感と実践 ③ 「平和」はいつもそこにはない。自らのこととして受けとめ、心に刻んで、生徒や市民、 世界の人びとと手を結んで「平和の文化」をつくっていく。 (2)「地域」から歴史をみる視点を(歴史的想像力をもって)    ~南房総・安房地域の地理的歴史的特性を見ていく眼を磨いていく    ① 歴史のフィルターを通して「地域」を見ていく眼    ② 歴史のスパンを長くして「地域」を見ていく眼    ③ 世界史や日本史を通して「地域」の歴史を構造的に見ていく眼 1 (3)「地域」の民衆の歴史や生活文化、暮らしを学び、いまに活かす ① 南房総・安房における海をめぐる歴史・文化と交流      ・海に生きる人々が生みだした生活と文化                   → 交流 ② 地震・災害・戦乱から地域を復興させるエネルギーと民衆のたたかい      ・生きる知恵-コミュニティとネットワーク 「棚田」と嶺岡牧        → 共生    ③ 房総半島のもつ意味や役割と、中央政権の関わりや支配      ・南房総の気候・植生・海洋と民衆の生活           ④ 戦国期里見氏や近世地域支配者と民衆との関わり      ・地域民衆の支配と海城・巨大地震の遭遇と復旧-信仰と交易          → 平和    ⑤ 東アジア・太平洋世界との交流-ハングル「四面石塔」と朝鮮通信使      ・外国の漂流船や難破船の南房総漂着と民衆との交流               → 交流    ⑥ 万石騒動・自由民権運動と安房の民衆      ・江戸との交流と庶民文化の創造-師宣・馬琴      ・地域の子どもたちと教育・地場産業の育成-花・酪農・水産加工      ・信仰活動-出羽三山・伊勢参り・キリスト教伝道者              → 平和 ⑦ 幕末の海防政策・近代日本の要塞建設・水産業の発展           → 平和・交流 ・海に生きる人々-海洋技術・アワビ採集とアメリカ出稼ぎ・マグロ漁    ⑧ 戦争遺跡と戦争の傷跡(隠されてきた歴史的事実や語れなかった歴史的事実) ・海に生きる人びと-アメリカ移住者・海軍水路部と太平洋      ・海藻火薬作り、ウミホタルの採集と軍事利用、花作り禁止      ・アメリカ占領軍上陸・「直接軍政」と市民・平和活動と「ユネスコ」誕生  ・軍都館山を訪れる人びと・「かにた婦人の村」設立と「噫従軍慰安婦」碑    → 平和 (4)地域教材を使った授業づくりと「地域像」をさぐる ① 歴史的な役割を果たしてきた房総半島南端の地・安房   安房地域は気候に恵まれた半島性のもとで、海や山など豊かな自然環境を育んできたことから 花・食・里山・黒潮など、第1次産業に関わる地域イメージのみで語られる。 しかし歴史的文化的な視点からみると、房総半島南端部は日本列島のほぼ中心部にあって、関東 地域を背後に太平洋世界に突き出た半島に関わり、太平洋世界(黒潮)の豊かな海洋文化を営みな がら、交流をすすめてきた地域であった。つまり関東のなかの中心的な位置を占め、政権のあった 鎌倉・江戸・東京にとっては、江戸(東京)湾の入口に位置する安房は、古代より戦略的な要衝の 地であった。   房総半島南端部は地理的にどんな特性をもった地域か。降雨や気温には海洋性の気候の影響を受 け、台風の通過が多く一時的な豪雨などの地域的な特性をもつ。そのなかで気候的な特性や植生上 の特性を活かした農業形態や花づくり、また黒潮と親潮の潮目をもった世界四大漁場のひとつで あった漁業の歴史、さらに古代よりアワビ・海藻など豊かな磯根漁業が地場産業として生活を支え ていた。地学的には環太平洋造山帯に位置し、世界的にも地震の多発地帯で、日本海溝が近く太平 洋プレートの移動で、現在も日本で一番隆起している半島部という。   歴史的な特性をもった地域であると前述したが、日本列島の中央部にあったことで、古代より中 央政権や地域支配者にとっては、地政的に房総半島の役割が重要であると認識されていた地域であ る。古代から中世・近世において、列島の中央部にある関東地域の支配は、江戸(東京)湾と房総 半島湾岸部などの要衝を押さえることによって、戦略上はもとより、漁業や海上交易において中央 政権や地域支配者が関心をもった地域であった。   その事例としては、大寺山舟葬墓埋葬者・翁作古墳埋葬者、景行天皇伝承・忌部・高橋・平忠 常・頼朝・北条・足利・里見・正木・後北条・秀吉・家康などと関わっている出来事を見ることが できる。 また、幕末からアジア太平洋戦争まで対外政策や軍事戦略上では、房総半島南端部が江 戸(東京)湾口部であったことで、深く中央政権と直結していた。 幕末の砲台・台場や明治期よりの東京湾要塞砲台群をはじめ、館山海軍航空隊や館山海軍砲術学校、 2 洲ノ埼海軍航空隊などの軍事施設、そして本土決戦関係陣地やアメリカ占領軍上陸地など、時代の なかで重要な役割を担っていた場所であった。 ②【平和・交流・共生】の地域コミュニティの理念を育んだ歴史的な特性と「地域像」   安房の人びとは歴史的には、どんな生活文化や理念を育んできたといえるか。まず指摘できるこ とは、地域を舞台にした戦乱や戦争、そして地震・津波・台風などの自然災害、海の暮らしのなか での遭難など、大変な困難な状況が 100~200 年のサイクルで襲ってきたものの、その時代のなか で乗り越えてきたということである。   そこには、嶺岡山系周辺の「地すべり」という自然災害をも利用した「棚田」農業や魚と格闘し ながら獲物を得る「突きん棒」漁法、さらには自力で海に潜って魚介類の採取や農業や花作りに活 かした海藻採集など磯根漁業など、たとえ労働用具などが欠けていたり、不十分なものであったと しても、伝承された知恵を身に付けて、生活を支えてきた。   その際に忘れてならないことは、人びとは豊かな地域コミュニティをつくって、励まし合い助け 合いながら、確かな知恵が活されるために集団で生活文化を育んできた。また、中央政権の意図的 政策によって、あるいは戦乱や災害によって、地域の文化財や古文書が失われてきたものの、たと えば地域の伝承として、あるいは寺子屋などの「教育」という形を取りながら、人びとの思いや願 いは確実に子どもたちに受け継がれていったのである。   こうして中央政権での戦乱や自然災害が多かったこの地は、人々によって「平和や友好を求める 交流」の地となり、漁民たちの寄留の地として、また商人たちの交易地として、さらには太平洋世 界から漂着した人びとの平安の地として、実り豊かな地域生活と文化が育まれていたと思われるの である。その結果、地域文化の拠点として神社・仏閣は再建され、そのなかで祭りや民俗伝承とい う形で豊かな地域コミュニティ社会を生みだし、子どもたちの「教育」の場がつくられていった。   私たちは、先人たちが育んできた【平和・交流・共生】の地域コミュニティの理念を学びながら 地域の歴史的な特性を活かす生活文化を再生していくことが大切である。なかでも安房の人びとの 地域コミュニティの理念は、戦乱や災害な

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本站的域名是什么?( 答案:sciwk.com )
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